三井不動産リアルティ

Vol.38 2018 7月号

REALTY - news


今月のトピックス
Topics 1 アメリカのSCリートとワン・トリック・ポニー
Topics 2 在留外国人マーケットに注目
Column 独自の文化を育みながら、池袋は注目を集める街へ

Topics 1

アメリカのSCリートとワン・トリック・ポニー

 「ワン・トリック・ポニー」というのは「一芸しかできない仔馬」のことで、見世物小屋やサーカスの動物ショーに出演する、片足をあげてみせることしか芸がない仔馬です。

 アメリカのSCリートと言えば、最大手のサイモン・プロパティーは時価総額で世界最大の不動産会社ですから、これを「ポニー」と呼んだら怒られてしまいます。しかし、ほとんどのSCリートは「SC(モール)だけ」しか手掛けて来ませんでした。

 そのワン・トリックぶりに変化が表れています。オンライン通販に押される中、SCリート(モール会社)が従来は見られなかった種類のテナントを入れ始めているのです。

 例えば百貨店の退店後にコールセンターとかアフターサービスの拠点といったオフィスを入れる例が目立ちます。敷地内に賃貸マンションを建てる例もあります。モールでは飲食はフードコートが定番なのですが、本格的なレストラン街を増設する例も多くあります。

 SCリートも含め、アメリカのリートは日本のリートとは異なり経営者も社員もいる完全な独立会社です。さらに竣工後の自社保有を前提に自ら開発もする点、税務上の取り扱いを別にすれば、日本の不動産デベの方に似ている面が多々あります。

 SCリートに限らず、オフィスビル、賃貸マンション、ホテル等、アメリカではほとんどのリートが専業特化しています。一方、日本の大手デベは「総合不動産会社」だらけな訳ですが、なぜこのような違いが生まれたのでしょうか。

 たぶん、日本では「先に土地ありき」だったからなのだと思います。なんらかの形で得た事業機会をどう活かせば良いか、それがビルになり、ホテルになり、SCになり、マンションになりと言った具合に広がって、行きつく先が「総合不動産会社」だったのでしょう。

 アメリカの場合はとにかく国土が広大で、特にSCの場合はその気になれば物理的にはどこにでも建設可能です。もちろん主要道からの道路付けとか人口の多い都市までの距離、競合するSCの有無、ゾーニング他の許可、さらにテナントの獲得や融資の獲得等々といった面でアメリカなりの競争条件はあるのですが、日本での競争とはかなり異質です。

 手掛ける事業を得意なものに絞って他は手掛けずにとことんその効率性を追求するという事業戦略が、アメリカのSCリートで裏目に出ています。通販やディスカウンターに食われてモールが不調になり、一方で専業特化してきたために逃げ道が極端に少ない中で、なんとか踏ん張ろうともがいているところが目立つ状態なのです。

ジャパン・トランスナショナル 代表 坪田 清

Topics 2

在留外国人マーケットに注目

 日本政府観光局(JNTO)の発表によれば2017年1~12月の訪日外客数は期間累計2,869万人を超えました。2016年は2,403万人であったことから2割近い増加です。さらに2018年1~5月の推計は1,319万人と、前年同期1,141万人の約16%増で推移しており、2018年は3,000万人を超える見通し。政府目標の2020年4,000万人も視野に入ってきました。この影響で、ホテルを中心とした旅行産業のみではなく、飲食・物販共にインバウンド需要取り込みが盛んとなっています。

 一方、日本に定住する外国人も増えています。1996年以降、韓国・朝鮮国籍の在留外国人は減少しましたが、中国(台湾含む)は1996年の約23万人から2016年には約75万人に急増しており、韓国・中国以外の外国人も1996年の約52万人から2016年は約115万人に倍増しました。2016年末時点で在留外国人は全国で約238万人、1都3県(東京・神奈川・埼玉・千葉)合計は約98万人という大きなマーケットになっています。仮にすべての在留外国人が賃貸住宅を契約するとした場合、首都圏の市場規模は、1世帯1.5人、戸当たり平均賃料を月額10万円として650億円強と、「注目に値する市場」です。

 実際、近年の高額分譲マンション販売では外国からの投資を含め、外国人の購入が多く、高額中古マンションの購入者も外国人が多くなっています。全体に投資目的が多いことから在留外国人の増加と直結はしていないものの、日本の不動産市場に対する注目度の高さを感じさせます。最近、外国人の投資需要が減退したという情報がありましたが、実際にはまだ堅調であり、不安を感じさせるものではないようです。

 一方で、これまで外国人に対して積極的ではなかった賃貸マーケットが、ここにきて外国人の取り込みに積極的になっています。その要因はターゲットの変化で、元々数の多かった欧米からのビジネス客(転勤層)に加え、海外の富裕層子女(留学生)が増えており、ハイグレードな商品の動きが良くなっています。これに伴って、外国人向けの保証会社も増えており、国内の人口減少を補う大きなマーケットとの認識が進み、今や住宅業界にとってインバウンド定住者の需要獲得は大きなテーマとなっています。

株式会社 工業市場研究所 川名 透

在留外国人(登録外国人)数の推移(毎年末現在)

Column

独自の文化を育みながら、池袋は注目を集める街へ

40周年を迎えたサンシャインシティ

40周年を迎えたサンシャインシティ

 昭和初期、住宅地が増え始めた池袋では未来の池袋の一つの在り方を示唆するムーブメントが起こります。詩人の小熊秀雄が街に漂う空気感を芸術の都パリになぞらえ、若き芸術家達の活動拠点を「池袋モンパルナス」と名付けたもので、周辺各所に小さいアトリエ付きの貸家が集まるアトリエ村が造られ、自由でアーティスティックな感性あふれる街が生まれたことに端を発します。第二次世界大戦の大空襲によって大部分が焼失しましたが、芸術・文化の発信拠点という精神は、今なお池袋に大きく息づいています。

 大空襲は池袋駅周辺を中心に豊島区の7割近くを焼き尽くし、戦後、駅周辺の焼け跡には広大なヤミ市が誕生しました。交通の便が良く、郊外の生産地から農産物を輸送しやすかったこと。朝霞に進駐軍が駐屯し、米軍のヤミ物資を持ち込めたこと。後背地に多くの非罹災住宅地が控えていたこと。需要と供給が調和しヤミ市が隆盛を極める中、戦災復興都市計画に基づく土地区画整理事業が進行し、東口のヤミ市は閉鎖・解体。昭和27年には駅前広場が完成します。しかしながら西口のヤミ市の一部は強硬に存続を続け、決着したのは昭和37年、西口の開発はその印象を深く残しながら、東口から大きな遅れを取ってしまいました。

 同時期に勃発したのが池袋デパート戦争です。昭和24年には戦前より東口で営業していた武蔵野デパートが西武百貨店と改称し、翌年には西口で東横百貨店(現:東武百貨店)が開業。昭和32年には東京丸物百貨店(現:池袋PARCO)と三越池袋店が開業するなど、年とともにその規模を拡大し、池袋は急速に発展します。

 そして高度経済成長期を迎えた昭和33年、池袋は第1次首都圏整備計画により副都心に指定されます。副都心再開発の一つとして巣鴨プリズン(旧:東京拘置所)跡地に、着工から5年の歳月を経て昭和53年に誕生したのがサンシャインシティです。その中のサンシャイン60はその当時、アジア圏で最も高いビルとして注目を集めました。

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