三井不動産リアルティ株式会社
REALTY real-news Vol.34 3月号 2018
♯1 中国の不動産大手が、買い漁ってきた海外資産の売却を強いられる
♯2 好調続くオフィスマーケット、地方の市場も好転しており期待が高まる
Column 宿駅からターミナルへ、新宿はいつも人の流れを受け止める街
1 中国の不動産大手が、買い漁ってきた海外資産の売却を強いられる
 今回の話はまさに現在進行形の話です。
 世界で続々とトロフィー不動産が売られています。「トロフィー不動産」とは価格にして数百億円以上の大型の物件の事で、オフィスビルかホテルが主です。
 「売り」に回っているのは中国のHNA(海航集団)、大連万達で、先日、政府管理とされた安邦保険も今後、保有物件多数の「売り」に回る事はほぼ間違いありません。ほんの一年前までは盛大に買収を「する側」だったこれらの会社は、強いられる形ですでにニューヨーク、シドニー、ゴールドコースト(オーストラリア)、ロンドンの物件を売りました。
 彼らの運命の暗転がはっきりしたのは昨年6月です。中国の金融当局が銀行に対して彼らへの融資に注意するよう、警告した(英語では「システミックリスク」という言葉が使われていた)のです。次いで8月、中国政府は海外投資を「奨励分野」「制限分野」「禁止分野」の三つに分類するとし、不動産・ホテル・映画館等は「制限分野」に入れられてしまいました。
 中国政府がHNA、大連万達、安邦保険等の海外買収を快く思っていなかった事は、かなり前から分かっていました。海外買収に必要なドル(=外貨)の取得を為替当局が認めなかったり、一部の会社の経営者が別の当局により拘束される事態が起きたりしていたからです。
 中国でSCを大規模に展開している大連万達の不動産子会社の香港での新規上場とその上場廃止も、当局をかなり怒らせたケースと思われます。同社の上場は2014年12月、上場廃止方針の発表はその僅か1年半後の2016年5月で、これは外貨準備高の急減が止まらずに中国政府がいらついていた時期でもあります。344億HK$(4680億円)というTOBの額もさる事ながら、多額におよんだ「上場時に得た外貨」と「上場廃止のために払う外貨」の差にも不快感を募らせたでしょう。その分、中国の富が意味なく国外へ流出したのです。
 大連万達の王健林CEOは不動産王として3兆円を越す資産を持ち、一時は中国で一番の富豪でした。今は資産をどんどん売却、なりふり構わずに生き残りを図っています。
 さて中国はこの問題に対してなぜかくも神経質になっているのでしょうか。それは冒頭にあげた、「システミックリスク」に対する危惧からでしょう。「システミックリスク」とは一つの銀行等の破綻が他の多数の銀行等の破綻に連鎖し、金融システム全体が機能不全になる危険性(リスク)の事を言います。中国の金融についてはそのような懸念を持たなくてはいけない脆弱性があると当局も認識していることが、はっきりしました。  
ジャパン・トランスナショナル 代表 坪田 清
(HK$=13.6円 2018年3月6日近辺のレート)
2 好調続くオフィスマーケット、地方の市場も好転しており期待が高まる
 三鬼商事が公表しているオフィスマーケットデータによれば、東京、大阪、名古屋の主要マーケット以外の地方マーケットも好調な推移を示しています。
 既に何度か取り上げていますが、都市部の空室率は低位安定しており、2018年1月時点の空室率は東京で3.07%、名古屋で4.18%、大阪で3.59%と低い数字ですが、地方でも空室率の低下が進んでおり、札幌は2.38%、仙台6.18%、福岡3.34%となっています。地方3都市の5年前(2013年1月)の空室率が札幌9.53%、仙台13.55%、福岡12.19%であったことを考えれば、オフィスマーケットはこの5年で大きく変わったと言え、特に札幌は空室率2%台でオフィス探しに苦労するレベルです。
 地方のオフィスマーケットの好調さを示す数字はもう一つ、「空室のあるビル比率」が注目されます。逆から見れば満稼働ビルの比率ですが、地方ビルではこれも大きく下がっています。各地域の2013年1月→2018年1月の数字を見ると、札幌76.28%→39.75%、仙台78.71%→66.95%、福岡81.06%→43.15%となっており、仙台では空室のあるビル比率が高いが、札幌、福岡は5年前の半分程度に下がっています。
 地方創生といった面を含め、大企業の本社機能移転も進んでいるといった情報もあります。地方マーケットは、これまで、支店経済型と認識されてきましたが、今後は投資先としても見直されるべきマーケットになっていくと考えられます。
株式会社 工業市場研究所 川名 透
ビル空室率 / 空室のあるビル比率
Column
宿駅からターミナルへ、新宿はいつも人の流れを受け止める街
内藤新宿 広重画 国立国会図書館  蔵
内藤新宿 広重画 国立国会図書館 蔵
 江戸幕府が開かれた翌年に制定された五街道。その中の甲州街道は、起点となる日本橋と甲府・下諏訪を繋ぐ街道で、日本橋の次の宿駅は約16km離れた高井戸宿でした。他の街道と比べてほぼ倍の長丁場に人も馬も辛い思いをしていたことから、1世紀近く後に幕府は中間地点となる信州高遠藩主・内藤邸の一部を召し上げ、新しい宿駅「内藤新宿」を設けました。新宿という地名はこの宿駅の誕生が由来であり、その範囲は四谷大木戸(現在の四谷四丁目交差点)から、甲州街道と青梅街道の分岐点であった追分(現在の伊勢丹新宿店前)周辺まで。物流の拠点となったのはもちろん、旅籠や茶屋、岡場所もでき、歓楽地として大いに栄えました。
 明治維新を迎え武家屋敷から人はいなくなりましたが、明治4年に職業選択及び農耕地の作物選択の自由が認められ、周辺の農村部では商品作物を生産・流通させるようになりました。明治18年には日本鉄道品川線(現:山手線)が開通し、現在のルミネエストの場所に初代の「内藤新宿」駅舎が誕生。2年後には「新宿」駅と改称され、明治22年には新宿と八王子を結ぶ甲武鉄道(現:中央線)、明治36年には東京市電の新宿~半蔵門間が開通。大正4年には現:京王線が新宿に乗り入れ、新宿は郊外と東京中心部を結ぶターミナル駅の様相を見せ始めました。駅舎は2代目、3代目と移転を繰り返しますが、周辺には大小さまざまな店が建ち並び、江戸時代の内藤新宿から新宿駅周辺へと移動しながらも、商業地の賑わいを取り戻していきました。
 ところで新宿は、地盤の強い武蔵野台地上に広がる街です。大正12年に起きた関東大震災においても、甲州街道の南側を一部焼いただけで被害はほとんどありませんでした。しかも新宿周辺と東京西部の宅地化が進み、人口が急増していく中、昭和2年には小田急線が開通。交通網が集中する新宿は、繁華街へと大きく発展していくことになります。
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